Oracao de Amakusa(オラシオ・デ・アマクサ)
脈々と受け継がれる「祈りの地」。「祈りの歴史」。

 1566年、日本の西端に浮かぶ天草の島々にキリスト教は「伝来」しました。

 天草の人々にとって、その教えは心の拠りどころとなり、瞬く間に広がっていき、キリスト教は「繁栄」していきます。しかし、時代の波は過酷でした。自由と平等、そして愛の教えを信じたはずの人々が厳しい「禁教」下で「潜伏」を余儀なくされ、カトリックに「復活」しはじめたのは、禁教を掲げた高札が撤去された1873年以降のことです。

 天草地方の教会堂や史跡は、250年以上もの困難に耐えた「潜伏キリシタン」のひたむきな愛と信仰を象徴するものです。

 弾圧に耐え切れず、仏教や神道に帰依する者もいる一方で、「水方」と呼ばれる指導者のもと、神社や隠し部屋で「オラショ」を唱える等、この地独自の方法でひそかに信仰を継承した人々。秘蔵されたアワビや鏡、神像といった数多くの信心具は、禁教下の祈りのかたちを物語ります。

 禁教が解かれ、カトリック教徒として復帰する人も多いなか、親から子へと受け継がれた信仰を続ける「かくれキリシタン」もいました。今富地区に伝わる「幸木(さわぎ)飾り」や「臼(うす)飾り」と呼ばれる正月飾りは「かくれキリシタン」の名残を今に伝える風習です。

 また、キリスト教とともに伝来した南蛮文化は、天草に大きな変化をもたらしました。「コレジヨ(神学校)」の設立や「グーテンベルグ印刷機(金属活字活版機)」によって学問が広まっていき、先進的で独自の文化が花開いたのです。

 伝来から今日まで450年。この地にとってキリスト教がもたらした文化や産物は、“特別な遺産”ではなく、繰り返す地域の日常そのものなのです。

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録推進をPRするシンボルマーク。

 「天草の﨑津集落」は、この遺産群の構成資産の一つとなっています。

鶴田一郎氏インタビュー INTERVIEW

描くこと自体が祈りのようなもの。
私が描く、私のミューズ(女神)。
それは暗闇に差し込む ひと筋の光でもあるのです。

画家・鶴田一郎と歩く キリシタンの里・﨑津

 画家・イラストレーターの鶴田一郎さんは天草市本渡に生まれ、美人画の作家として知られるほか、2005年に「天草四郎~祈り~」というタイトルの原画作品を発表。近年は仏画や琳派(りんぱ)といった日本の伝統美に魅了され、“鶴田琳派”という新たな世界観を探求しています。

 今回鶴田さんには、この『天草のキリスト教関連遺産ガイドブック』の表紙アートを依頼。制作にあたり、平成30年の世界遺産登録を目指す「天草の﨑津集落」を散策していただきました。

当時の人たちはなにゆえ、キリスト教を信じたのか。

 天草四郎をモチーフとした原画作品の構想を練る際に、天草のキリシタン史について学んだといい、当時を振り返ってこう語ります。

「天草にキリシタンの歴史があるということは知っているつもりだったのですが、繁栄期には島民の8割以上がキリシタンだったと聞いたときには驚きました。キリスト教を受け入れる天草自体の素質として、どんなものがあったのか。天草四郎を描くうえで、ずっとそんなことを考えていました。重税に苦しむなかで、救いを求めるような気持ちでキリスト教にすがった人も多かったように思います」。

 漠然とした不安の中で、ひと筋の光を求めるような感覚。それは、鶴田さんにとってのミューズ(女神)にも重なります。

私の描く美人画は、女性を神格化したものです。

 「広告やイラストの仕事に忙殺されていた若い頃、“自分を見失いたくない。救われたい”という一心で作画に取り組み、生まれたのがこの美人画。だから私は、“ミューズ(女神)”と呼んでいます。私にとって、描くこと自体が祈りのようなものでもあるのです。だからこそ、今回の表紙のイラストでは、可愛らしさや優しさを大切にしました。天草のキリシタン史には弾圧や潜伏という、暗い時代もありますが、信仰の中で光明を見出した彼女たちにはきっとこういう瞬間があったと思うのです」。

復活の象徴としての、光。

 彼らがキリスト教に感じた希望は決して、消え行くものではなかったはずだ。
そんな思いもあったのでしょう。鶴田さんの描いた表紙のイラストには、復活の象徴として、力強い光が描かれています。

画家・イラストレーター 鶴田 一郎

1954年、熊本県本渡市(現・天草市)生まれ。彼の描き出す美人画は、まさにアールデコのヨーロッパ的要素と自分の中の日本的なものが見事に融合し、たおやかで華やかな世界を創りあげる。
1987年には、ノエビア化粧品の広告に抜擢され、CMアートの先駆者として人気を博し、彼の作品の中の女性たちは、今も多くの人々を魅了し続けている。